評議会制を訴える会


Political Council-System Revisited



Since 1999.8-




設立趣旨

 今日、世界主要国の政党制は多かれ少なかれ利益集団・ビジネス&マネージメント組織と化しており、本来の純粋な政策集団としての「Party」の機能が喪失しつつある病弊に陥っている。ことにトップダウン式のピラミッド型組織集団を容易に形成し、党議や党則によって、あるいは各種派閥の力学を築くことによって、メンバー個人の自由な決断や選択を阻止しようとする日本の既成政党の運営の論理は、本来個人の自由な発想やアイデアによって生まれるよき政策やリーダーシップをないがしろにしているばかりではなく、資金提供者である特定の関係利益団体の既得権益を保護するギブアンドテイクの関係が生ずる結果、組織自身の利害と直接関係のない多数の一般市民の政治的意見や要望を無視してでも、組織の構成員の権力の存続およびそうした団体や業界の保護団体としての機能を最優先せざるをえず、その結果日本の民主主義の自己破滅・自己崩壊に貢献する根本的なエゴの巣窟と化してしまっている。

 政治のビジネス化、政治家のサラリーマン化はこうして政党組織という手かせ足かせのためにエスカレートし、私利私欲のために政治をすることが当然のごとくまかりとおるようになる。したがって、政治を本来の一般市民の公共的な要求を実現するべきものとして機能させるためには、あるいは政治家を一般市民の代弁者として「まともに」活躍させるためには、もはや形骸化された政党制ないしは政党政治ではダメなのである。それにもまして、「政治家になるためにはどこかの政党に属さなければならない」とか、「政治家は政党活動とともに存在する」「どの政党を支持するかで、政治の行方が決まる」といった、根拠のない迷信や固定観念が広がってはならないのであって、われわれはそうした旧態依然の政治観念の呪縛からまず解放される必要がある。

 こうした政党の組織化による専制という事態は、たとえば今世紀ドイツの著名な社会学者、ロベルト・ミヘルスによって「寡頭制の鉄則」として詳細に分析されている。(=「ミヘルスの政党制批判論」を参照)


 そもそも、政治とはイコール政党政治もしくは政党制ではない。政党制は間接代議政治におけるひとつの特殊な統治方法としてのみ歴史的に存在してきたのであって、それがすべての政治のやり方や常識ではないのである。たとえ二大政党制が実現したとしても、それは対抗勢力の闘争という敵味方ゲーム合戦であって、そのつどの一般市民の公共的な意見や願望を反映した政策を実現するという本来の民主主義的目標からは遠ざかるのみである。


 政党制に代わる有効かつもっとも民主主義的な政治制度がある。それは「評議会制」である。


 「評議会制」とは、現にも一部の学術学会や非利益団体の役員会などにて行われている合議制による投票・採決方式であるが、利益団体の代表者となり資金運用に走る政党制度を廃止し、代わりに評議会制度を敷くことがでそれはいかなる政党色もカラーも出さず、もっぱら個人の信任によってのみメンバーである評議員が選ばれる、民主主義政治にとってはもっとも合理的かつ公平な制度である。
 民主主義政体の元祖である古代アテナイの民主制は、まさに評議会制によって運営されていたのである。 (=「アリストテレス『アテナイ人の国政』からを参照)

 評議会制度が実現すれば、政治家へは個人への活動費のみが支払われるようになり、いっさいの圧力団体や政党の利益支援団体による統一的な既得権益保護への要求は必要最小限に抑えられるであろう。
 未来を担う世界各国の新進政治家は皆、いかなる政党の利害にも巻き込まれず、資金にも人的動員や応援にも頼らず、自分自身の初志を貫けるように市民の代弁者とそのための個人本位の政策シンクタンクとの役割に徹することができるように努力すべきである。彼らは現在では「無党派市民層」といわれている人々の代弁者であるが、それらは後々にはいかなる形態の政党政治にも「NO」といえる、いかなる集団や派閥形成をも拒否する「評議員制」の志望者候補である。





評議会制のしくみと成立過程


 1.政党制は廃止し、特定の利益や自己資金運営を目的としたいかなる集団による政治・ロビー活動も禁止する法律をつくる。

 2.純粋な政策集団としての会派、政策研究会の類は存続を認める。ただし統一会派は禁止する。

 3.したがって政党制比例代表制選挙も廃止する。ただし個人比例代表制は導入してもよい。

 4.国民は「全国区および地方ブロックにおける大選挙区制選挙において、それぞれの政策や実績を吟味しながら、評議員である議員をそれぞれ10〜15名程度ピックアップし、選んだ評議員の氏名を記名簿に記入する。

 5.得票数の多い評議員から順に選ばれていき、合計100〜200名程度の評議員が国会議員として任命される。

 6.各地方自治体議会においても、同様の手法で議員が選出される。

 7.評議員の任期は1年間とし、1年毎に改選される。評議員は任期の間、休職扱いとされ、任期満了後は復職が認められるようにする。







評議会制の歴史的意義



 著名な政治学者のハンナ・アーレント(1906-1975)は、その代表的著作のひとつ『革命について』(1963)の第6章において、この評議会制を政党制や代議制に代わるもっとも直接的で民主的・共和的な政治制度であることを歴史的に考察し検証しようとした。そこからいくつかを引用してみよう:



 「評議会のメンバーは、確かに党や議会がとる手段について討論し啓蒙し合うことに満足していなかった。彼らははっきりと自分で意識して、国の公的問題に全市民が直接参加することを望んでいた」のであり、「評議会が存続するかぎり、疑いもなく国民各人は自分自身の政治的な活動の領域を見出し、いわばその日の出来事に対する自分自身の貢献度を自分の眼でながめることができた」のである。


 評議会制は歴史的にみて「事実上、いかなる政党にも属していない人々にとって、唯一の政治機関であった」し単なる出来合いの党の綱領に拘束されはしなかった。


 「評議会は明らかに自由の空間であった。そのような存在として評議会は、自らを革命の一時的な機関としてみなすことを一貫して拒みつづけ、反対にそれを統治の永久的な機関として樹立するためにあらゆる試みを行なってきた。」


 「評議会が挑戦したのは、あらゆる形態の政党制そのものであって・・・・一党独裁は一般的には国民国家の発展の最終段階であり、特殊的にも多党制の発展の最終段階であるにすぎない・・・・今日ヨーロッパの多党制民主主義は、フランスやイタリアのどんな逝去においても、国家の基礎や体制の性格そのものが問題となるほど、明らかに衰退しているからである。


 「統治機構としては、ただ二大政党制だけがその生存能力と同時に憲法上の自由を保障する能力を証明してきたのは事実である。しかし、それが達成したのはせいぜい被支配者による支配者に対するある程度のコントロールであって、市民が公的問題の「参加者」になることができなかったというのもまた事実である・・・・利害については、投票者たちは圧力団体、ロビー活動、その他の手段によって、その代表者に実際的な影響力を与えることができる。つまり彼らは他の投票者集団の要求と利益を犠牲にしてでも自分達の要求を実行するよう、代表者を強制することができる。このような事例ではすべて、投票者は自分の私的生活と福祉に対する関心から活動しているわけであり、その手中に未だ保持しつづけている権力の残滓は、共同の活動や共同の討議によって発生する権力ではなく、むしろ脅迫者が相手をむりやり服従させてしまう無茶な強制力に似ている。


 「ともあれ、政党は任命権を独占しているゆえに、人民の機関とは見なされ得ず、むしろ人民の権力を縮小しコントロールするための非常に効率のよい道具であるということを、一般的には人民も、政治学者も少しも疑っていない。」


 「管理と経営は、あらゆる経済過程の基礎をなしているさまざまな必要性がその仕事を命じていることであり、本質的に非政治的であるばかりか、非党派的でさせあるからである。豊かさが支配している社会では、相争う集団の利害は、必ずしも互いの損失によって決着をつけなければならないことはない。そして反対意見の存在を許す原理は、専門家の客観的で明らかに妥当な意見を超えているような、本当の選択が存在しているかぎりにおいてのみ妥当なのである。統治が実際本当に管理になってしまうならば、政党制は結果として無益かつ無力なものとなる。


 「評議会によって信任され選ばれた人々は、政治的基準、信頼性、人格的高潔さ、判断能力、あるばあいには肉体的勇気にもとづいて選抜されたからである」


人民による、人民の統治」という定式を「人民のなかから生まれたエリートによる人民の統治」という定式に変えたのは、まさに政党制の性格そのものから生じているのである。ここにこそ、問題の核心がある。」


問題は、人民全体が参加できるような公的空間、そしてそこからエリートが選択されるというよりは、エリートが自分自身を選択することのできるような公的空間が欠如している点にあるいいかえれば、問題は、政治が専門的職業やキャリアになっていること、エリートがそれ自身まったく非政治的な基準にもとづいて選ばれていることにある。本当の意味での政治的な能力の所有者がまれにしか自己を主張できないのは、あらゆる政党制の性格からきている。そして特別に政治的な能力が、徹底したセールスマンシップを要求する政党政治のくだらない策略のなかを生き抜くのは、さらにまれなことである。」


 「ひとびとがともに住み、ともに働いていたところではどこでも生まれた基本的な評議会を考えるならば、彼らはみずからを選択したのだといいたくなるだろう。つまり自分自身を組織した人々は、自らに気を配った人々であり、みずからイニシアチブをとった人々であった・・・・彼らの代表立ちはふたたびその同輩者たちによって選ばれたのであったが、その場合彼らは上からも下からも圧力を受けなかった。彼らの資格は、自分と同等の人々の信任以外の何物にも依存していなかったからである。」


「たとえば評議会は今日の大衆社会を、疑似政治的大衆運動を形成しようとする危険な傾向ともども、解体するのに最良の道具である。あるいはむしろ、大衆社会をだれからも選ばれずみずからを構成しているエリートによって、その根底から分散させるのにもっとも自然でかつ最良の方法である。」





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     「評議会制」をめぐるこれまでの議論の紹介


    古代ポリス社会の「評議会制」について
  
―アリストテレス『アテナイの国制』より ―


ミヘルスの政党制批判論



Last Update: 2000.7.11.
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